ヴィレヴァンの閉店セールで「詩人・きむのポストカード」を大量に買った話

ハイキングしながらきむの詩を読む

ゴールデンウィークに宇都宮から東京まで歩くハイキングを計画していたので、歩く合間に1枚ずつ鑑賞していくことにした。

餃子の像ときむのポストカードと私

1枚目:失恋したあなたへ

まずは1枚目。はがきを包むフィルムに「失恋したあなたへ」という一言が入ったカードが出た。いきなりマイナスからのスタートである。

背景写真の女性は幸せいっぱい感のある満面の笑みだが、文脈から考えると「失恋したけど頑張って笑ってる」ということだろうか。

失恋したあなたへ、と銘打っている以上、何某か慰めたい気持ちがあると思われるが、具体的な内容には触れず「後悔」という言葉に留め、励ましパートも「笑顔にはすべてがこもっとる」とかなり抽象的だ。

正直、自分が失恋したとしたら、「もうちょいソリッドな慰めが欲しいな」と思うところではある。

ただ確かに、失恋したけどやたら明るい人を前にした時、「これは一緒に笑っていいのか?それとも同情して慰めた方が良いのか?」と判断に迷う気持ちも良くわかる。具体的な言葉を一切出さないのは、きむ流の優しさなのかもしれない。

2枚目:連続で「笑顔系カード」

2枚目。2枚連続「笑顔」に言及した詩だ。こちらは、順風満帆な人生を送っている人を称える内容のようだ。

もともとも絶好調な人に「絶好調だね」と言っている形なので、特にこれと言ってコメントするポイントが見当たらないポジティブポエム。一点、冒頭の「大切にしたいものを大切にして」を読んだ時、「あたりまえ体操」が頭の中で流れたのは秘密。

3枚目:空に見守られる、とな

文字がキラキラ光ってる、ちょっと豪華なタイプだ。遊戯王でいうところのレアカードみたいな感じか。

詩を読むに、「愛すること 信じること」が主題のエールのよう。こちらもターゲットが広く、抽象的なポジティブさが溢れる内容だ。

”この空もあなたを見守ってる”

に注目。「空が見守ってくれる」という表現、ふむふむと読み飛ばしてしまいそうになったが、よく考えたらやや奇妙ではないか。

神様とかご先祖様とかお天道様とか、「何かしら偉大な存在が空にいる」という想定の言葉はよく聞くが、「空そのものから見守られる」のはあまり聞いたことが無い。

バックには、みんなで空を指差す若者たちの写真が。「見て!空が見守ってくれてる!」とみんなで確認し合っているところだろうか。

おいらも空を指さす仲間に入れておくれよ

4枚目:春以外ぜんぶ辛い

4枚目。

元気よく翔ける少年の写真をバックに、春を称える詩だ。

辛い時期のことを「人生の冬」と表現することがある。だから、冬を超えて咲く桜が、辛さを耐えた先に来る明るい未来と重ねられるのもわかる。

がしかし。この詩の出だしを読むと、春以外の季節が全て「苦しみ、悲しみ、人生のつらさ」にかかってるので、純粋に「辛さの判定、広くない?」と思ってしまうのは私だけだろうか。

また、「桜のように」という言葉が受けている箇所が「春がある」なので、この「桜のように」は、実は比喩になっていないのもポイントだ。

5枚目:あなたの笑顔のとなりに居たいんだ

笑顔が素敵な女性の写真とともに、笑顔を称えるシンプルな詩。ストレートでじんわり温かいハガキである。

6枚目:仲間っていいもんやね

仲間の友情を称える詩。確かに、長年来の友人はいつ会っても時を超えてあの頃に戻れるからいいよね。

ついこの間、同世代の友人と「多分俺たちは30年後もNARUTOコラで笑ってるんだろうな」と言い合ってゾッとしたばかりの我が身には、眩しい一編だ。

7、8枚目:真骨頂、でっかい文字はがき

7、8枚目は連続でご紹介。

いよっ、待ってました「でっかい文字一言シリーズ」!

きむの絵葉書といえばこのレイアウトと言っても過言でないのではないか。

伝えたいことが一瞬でドーンと伝わるので、詩というよりはコピーライトに近いのかもしれない。

購入したものの中には、恐らく多くの人が一度は見たことがあるであろうきむさんの代表的な1枚も、もちろん入っていた ↓

でっかいポスター版がいろんなとこに貼られてた記憶

9枚目:冒頭の「懸け」はなんだ

桜を背景に「咲く」がテーマの詩。命を懸けるくらい本気で生きて初めて、人生パッと咲かせることができる。きっとそうなんだろう。

しかしちょっと待て、その前についている「心懸け」はなんだ

命懸けには「命を捨てる覚悟であること」という意味がある。対して心懸けは「普段の心の持ち方」の意なので、心懸けの「懸け」に「捨てる覚悟」のニュアンスはない。

後半を読むと、この詩の主題は「捨てる覚悟」のほうの懸けに集約しているので、意味的には最初の「心懸け」が置いてけぼりにされてるのだ。

となると、最初の「心懸け」は「懸け」で韻を踏むためのライムなのかもしれない。

10枚目:使うシーンが限定的なメッセージカード

記念すべき10枚目。

こちらは特殊な封筒付きタイプ。商品名はズバリ「きむプレゼントカード」

添えられた詩を読んでいただきたい。このカード、まず送り主が「探しても探しても幸せを見つけられなかった人」であり、かつ、送る相手が「幸せはこの日常にあるって教えてくれた人」である場合でないと機能しないので、かなり使用シーンが限定されたカードといえよう。

そしてこのカードには、自分でもメッセージを書けるスペースがある。前述の通り、このカードを人に送る時は「探しても探しても見つけられなかった幸せが日常にあるって教えてくれた人に感謝したい時」なので、何かメッセージを書くとしたら、こうなると思う↓

うーん、言いたいことがダブってしまった

 

最初の10枚との向き合いを終えて

10枚を意識して読み込んだところで、ハイキングの疲労も相まって限界が来た。そして、この頃には私の心に、ある感情が芽生えた。

「ちがうだろ!!!きむの詩に向き合うってのは、多分そういうことじゃないだろ!!!!」

詩は作者の魂の叫び。もっと感覚的、直感的に味わうべき世界であり、日本語的に細かなツッコミを入れたりしたってしようがないではないか。

正直に申し上げて、十数年の時を挟んでなお、きむさんの詩は私の心に一つも届かなかった。だからといって、きむさんの詩を否定したいわけではない。単純に「私の心にきむさんの詩に向き合う土壌が無い」のが原因だと分かったのだ。

詩の世界は、詩そのものの内容だけでなく、「誰がいったか」が同じくらい大事だ。詩への感動は、読む人と作者との間にある関係値・文脈や、読む人のその時々に置かれた状況といった、いろんな要素が複合的に絡み合った結果生まれる。ポストカードの場合、さらに「送り手と受け手の関係」もプラスされるから、もっと複雑になろう。

結論としては、きむさんの詩に限らず、詩を心から受け入れるためにはそれ相応の準備が必要であり、それはこちらで意図的に用意しようと思っても難しいのだ。

あとで調べると、きむのポストカードは累計1000万枚以上売れたらしい。もしこの記事を読んだ人の中に、きむのポストカードを買った、渡した、貰った時のエピソードを持っている人がいたら、ぜひコメント欄で思い出を語って欲しい。

また、今回それはもうたくさんのカードを手に入れたので、メッセージを書いて送って欲しい!などあればTwitterのDMでご依頼いただければ対応する所存だ。

折に触れて人に贈っていきたい

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