ふ凡社代表取締役KFCの鈴木です。
今回は私が初めて書いた脚本
「平成にゃん月記」
のお話。
2016年末、新卒で入った会社を辞めて、突然演技の世界に飛び込んだ。
会社を辞める前は、単調な社会人生活を続けながら
「文化芸術の世界でエキサイティングに生きていきたい」
という気持ちが日に日に強まっていたが、何で勝負するかも定まらないまま、悶々としていた。
「このまま会社にいても永遠に悩むだけだから、とりあえず1発辞めてみて、やってみたかった演技をやろう」
と、あまり後先考えない選択だった。
それから演技学校に入って、約1年かけてゼロから演技を学び、色んな先輩役者の話を聞いて、色んな舞台を見に行った。
演技をやっている時間は、とても楽しかった。自分の内側に潜って、心と体を解放し、芸を磨く時間は常にエキサイティング。続けられるならずっとやっていたいと思った。
しかし、演技をお金にするのは難しかった。自分よりはるか先を歩く先輩役者も、すべからく生活に余裕がなかった。話には聞いていたけれど、役者として喰っていけるのは、リアルにほんの1握りなんだと知った。
役者志望の実に典型的なジレンマだ。どうすればいいだろうか。
自分の才能を信じて、お金になるまで生活の辛さに耐えながら演技を続けるのか?
役者を諦めて、別のまともな道を探すのか?
ここで私が将来選択にもだえ苦しんだかと言われれば、実はそうではない。
演技をやってみて、私は演技以外にも沢山やりたいことがあるし、役者1本に人生をかけるほどの情熱と度胸は持ち合わせていない、ということがはっきり分かってしまったのだ。
この事実に突き当たって思い出したのは、中島敦の「山月記」という短い小説だった。
版権も切れた作品なので、ネタバレする。あらすじは以下の通りである。
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昔、中国に李徴というスーパーエリートな役人がいた。
若くして出世コースまっしぐらだったけど、李徴本人は出世に興味はなく、仕事より「漢詩」の世界で名を上げて、死後も語り継がれるような人間になりたいと思っていた。
やがて李徴は役人を辞めて、山に籠って詩を書き始めた。
ところが詩作は上手くいかず、生活がどんどんピンチに。
結局、李徴は家族を養えなくなって役人にカムバックした。
復職した彼に待ち受けていたのは、かつて自分が「使えねぇ!」と思っていた同期が、自分が山に籠ってる間に順調に出世していて、彼らの下で部下として働かなければならないという現実だった。
李朝はストレスに耐えかねて、発狂。山に向かって走り去ったまま、消息不明になった。
数年後、李徴の唯一の友達だった袁傪(えんさん)という男が、出張途中の山道で虎に襲われかける。
なんだかんだあって、その虎が、かつての李徴だということが判明。(虎の声がCV李徴だったのだ)
李徴は、草むらの中から袁傪たちに向かって、
「なんで私が虎になっちゃったか」
を説明し始める。
彼の自己分析は以下の通りである。
「自分は才能があると思って詩を作り始めたけど、周りから『実際そうでもないじゃん』と言われるのが怖くて、詩を作っても誰にも見せなかった。でも、1人で詩を作っていても一向に売れるはずもなく、生活に追われて屈辱のまま詩人を諦め、発狂した。
一方で、周りを見れば自分なんかより全然下手っぴな詩を書いてたけど、自分と違って下手ながらも作品をいろんな人に見せて切磋琢磨しながら腕を磨いた結果、自分なんかより遥かに有名な詩人となった人もたくさんいるではないか。
変なプライドをこじらせて自分の殻に篭もってたのが、間違いだった。この『臆病な自尊心』が俺を虎にしちまったんだ。
気づいた時にはもう遅かった」
泣きながら自らの失敗を悔いたのち、李徴は袁傪に
「自分は多分このまま行くと完全な虎になるから、その前にせめて人として生きていた証がほしい。今から自分がつくった詩を読み上げるから、筆記して残してくれないか?」
と懇願する。袁傪は快く引き受けて、李徴の詩を聞くんだけど
「うーん、確かに普通の人よりは全然上手いんだけど、名作と言われる非凡な詩と比べたら何かが決定的に欠けてるな」
と思ってしまう。
その後、李徴は崖に登って虎の姿を袁傪一行に見せ、一声叫んで竹やぶに消えていった。
ーーーーー
なんてぐっさーと刺さる話だろうか。山月記は、「才能と将来選択」に悩む人達のバイブルだと思う。
改めて山月記を読みなおして、私は考えた。
「李徴は、どうすれば虎にならずに済んだのか」。
この問いをきっかけに生まれたのが、「平成にゃん月記」である。
舞台は「喫茶・にゃん月亭」。主な登場人物は
・半人半猫のウェイター・トム
・女店主・ラビ
・大手化粧品メーカーのアラサー女子・綾乃
・文具メーカーの平凡中年社員・真
・地下アイドル・早苗
の5人。
演技を初めて10か月の頃、脚本、演出、出演全て未経験の状態から作り始め、今年の2月22日(猫の日)に1度きりの公演をやった。もちろん、トムは私である。
この処女作を通じて、私は自分の将来選択に一つの答えを出した。そしてこれが「ふ凡」という言葉の誕生に繋がったのは言うまでもない。なんだか手元に置いておくだけでは惜しいので、脚本のデータを公開する。
15分もあれば読める短いお話なので、将来選択に悩む人、やりたいことと現実の狭間で板挟みの人なんかにぜひ読んでみて欲しい。そしてあわよくば互いに意見を交わしたい。さらにあわよくば、どこかで新しい脚本も書かせて欲しい。
さらにあわよくば100億円くらい欲しい。
ふ凡社制作部 鈴木
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